小田貴月(貴倉良子)の顔画像と経歴!高倉健との生活・関係は?

(この記事は2分で読めます)

高倉健さんの養女が出した「告白本」が人気で発売以来、異例の
重版という売れ行きを示しているそうです。

私個人としてもファンで大好きだった高倉健さんの養女?
何だろう?だれだろう?どういう関係?と気になる方が多いと

いうことでしょうね。本が売れてるということは。

さすがに昭和を代表する映画俳優「高倉健」さんです。

本を買って読むほど、時間のない人のために気になる点をまとめることにしました。

養女の方の顔も見たことがないということで画像が見たいですね。
それと彼女の経歴?ですね。「貴倉良子」という名前は?

そして高倉健さんとの関係や生活をできるだけ知りたいですね。

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小田貴月の顔画像と経歴!貴倉良子は芸名?

小田貴月さんの顔画像ですが、最近の画像が見つからないですね。
最近テレビ出演していますが、顔はまったく出していません。

顔をカメラに出さないという条件で出演されたんでしょうね。
出たのはこんな画像ばかりです。

小田貴月 後ろ姿画像

高倉健さんの養女は健さんの遺産相続人ということで、いろんな事が取りざたされた方です。

どんな経歴の女性何でしょうか?

小田貴月プロフィール

本名:小田貴(おだ たか)
旧姓:河野貴(こうの たか)
芸名:貴倉良子(たかくら りょうこ)
出版ネーム:小田貴月(おだ たか)
生年月日:1964年1月13日
出身地:東京都板橋区
最終学歴:千代田学園短期大学
職業経歴:女優、タレント、テレビディレクター、ホテルジャーナリスト、ライター、声載

貴倉良子という名前は女優などをしていた時の芸名なんですね。

字は違いますが(たかくら)と若い時に芸名を付けています。
健さんに憧れていたのでしょうか?

名の売れた女優さんたちでも高倉健さんに憧れていた人は多いですから不思議ではありませんね。

貴倉良子 画像

貴倉良子さんは東京都の板橋区の出身で千代田女学園高校の時にスカウトされて芸能界入りしています。

その後千代田学園短期大学へ進学しましたが中退しています。

貴倉良子2

女優「貴倉良子」さんは26歳の時日本人とフランス人のハーフの人と
結婚しましたがすぐに別居そして離婚しています。
この時の離婚理由ですが父(河野正夫)に語ったところによると

彼が自分の収入を当てにしていたのが分かって、嫌になったからとのこと。

その後再婚しています。
再婚の相手はNHKの番組制作プロデューサーということで落ち着くか?と思われましたが、またも離婚。

その後は懲りたのかわかりませんが高倉健さんの世話をするようになるまで入籍等の形跡はないようです。
子供はできていませんね。

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高倉健との出会い!そして生活と関係について

小田貴月(貴倉良子)と高倉健さんとの出会いは1996年で交際が始まり8年後の2014年5月に正式に高倉健の養女として入籍しています。

高倉健さんが何故小田貴月さんを養女にしたか?という理由ですが、

それは高倉健さんの病気です。
健さんは悪性のリンパ腫が発覚し、これまで世話してきた小田貴月さんに当然入院後もお世話、付き添いをしてもらいたいわけですが、

小田貴月さんは正式な家族ではありませんので法的に付き添いができない!ということで高倉健さんは小田貴月さんを養女にして正式な家族にしたそうです。

高倉健が最後に交わした言葉とは!

こうした高倉健さんと小田貴月さんの関係を当時、知っていたのは
小田貴月さんの母親と健さんの事務所の方1人の2人だけだそうです。

そして高倉健さんの最後は小田貴月さんが1人で看取ったそうです。
2人の特異な生活ぶり、そして健さんと交わした最後の言葉について
ご本人が語っている映像があります。

 

高倉健さんとの暮らしについて

世間の反応は

ツイッター

「健さんは鎌倉(神奈川)に江利さんとの間の水子の墓を建てていましたが、養女はそれを更地にした」
恐ろしいやつだ。

ツイッター

高倉健さん養女の告白本に遺族困惑 墓の行方、有無さえ知らず?。告白本を出高倉健さんの養女に遺族が困惑と女性セブンが報じた。健さんが亡くなってから5年経つが、養女とは今なお音信不通の状態だそう。TV局関係者によると、養女からは墓の有無さえ知らされていないままだφ(・ω・`)

ツイッター

お金の問題で亡くなった高倉健さんが成仏できないようなことにならないでほしい。

ツイッター

なんか、高倉健さんの養女?なんでそんな手記出すの?誰へのアピール?

ツイッター

「突如養女として名乗りをあげた小田さんは、葬儀を終えるまで健さんの死を遺族に伝えず、分骨も許さなかった。養女は遺骨は散骨したと言いますが、その場所がどこなのか、墓の有無さえ遺族は知らされていないまま」(テレビ局関係者)

ツイッター

「書籍は10月末に発売されるようです。健さんのとのなれそめや、交際時に提示されたたった1つの条件、最期の瞬間はもちろん、18年にわたる二人の生活の記録を赤裸々に公開しているといいます」

ツイッター

「 高倉健さん、どうして「養女」?「結婚」じゃないの? | マダムMの・毎日が小さな発見日! 」

ツイッター

安易な金儲け!健さんが悲しんでいる!!!

ツイッター

高倉健さんの養女という女性、事実上の妻だと。言ったもん勝ちだなという印象。仮に真実だとしても、墓場まで持っていけ!

ツイッター

「健さんの遺産はおよそ40億円といわれ、それを養女が相続した。ほかの遺族は養女の行動に憤りを覚えているが、連絡が取れないため泣き寝入りだそうです」

ツイッター

追記:小田貴月さん一問一答

小田貴月さんがインタビューを受けられた一問一答の詳細がわかりましたので
追記します。

 ──17年間、2人きりで外で食事したことが一度もない。相当の覚悟がなければ出来ないことだと。
 小田さん そうですね。(マスコミの目もあって)どこどこに誰と食事に行ったということを、翌日には関係者が知っているということが続いたと聞きました。(周りの人に)見られているのが分かってドキドキしながら、食事に時間をかける神経を持ち合わせておりません。食事はリラックスして、味わうものじゃないでしょうか。ですので、高倉からその話を聞いてすぐに、料理は自分で作った方がいいなと思うようになりました。

 ──料理は得意?
 小田さん (父方の)祖母から、「時間をかける」「手塩にかけて作る」「塩梅(あんばい)は大事にしなさい」と聞かされて育ちました。自分が作ったものを喜んで食べてくださる方がいるうれしさ。残さず食べてくれました。

──メニュー作りは大変だったでしょう。
 小田さん お肉がいいんです。鳥、鴨、牛、豚、時にはラム。私としては出来るだけバリエーション豊富に作ることを心掛けました。食事は命を養うものですから、毎日の献立は丁寧に考えました。体重チェックは毎日欠かしたことがありません。(私の作る料理は)お腹いっぱいちゃんと食べても太らないということを伝えたかった。私自身のチャレンジでもありますから楽しかったです。

 ──高倉さんとの関係を“伴奏者”と表現しているが?
 小田さん 「ばんそう」の「そう」は「走」じゃないんですか?と校正の人に何度も言われましたが、高倉の話をいろいろと聞いた上で、私がベストと思ったのが、“奏でる”の「奏」の方。「走」じゃないんです。

 ──タイトルの「その愛。」に込めた思いは?
 小田さん この本を包んでいるのは「愛」です。私が思う「愛」は、常に相手の周波数に合わせられる力、言い換えれば魂の共鳴だと思っています。人間はみなそれぞれ異なった周波数を持っています。日によっても時間によっても揺れ動きます。相手の周波数に心を合わせることで、一緒にハーモニーを奏でる。つまり“伴奏”なんです。高倉はマザー・テレサの「愛の反対は無関心」という言葉も多用していたことで、タイトルのヒントになりました。

 ──1人の時間はどう使っていた?
 小田さん 制約とかは何もありませんでしたが、高倉が海外に出ている時の方が私、忙しいんです。モーニングコールから始まり、その国と日本、2つの時間を過ごすので、一度5秒くらい遅れてしまい、「なんのためにモーニングコールを頼んでると思う?」と声のトーンを低くされたことがあります。それ以降、正座です。タイミングを損なわないように(笑)。それと、高倉は留守番電話が嫌いでした。いつ家の電話に「◯◯を送って欲しい」というのが来るかも分からないので、買い物で外出する時間帯にも現地時間での仕事の様子を想像する力が必要でした。軍隊の上官命令は絶対でしょう?(笑)

 ──それは大変!
 小田さん 門限午後5時です(笑)。仕事がない時には、その時間帯に帰ってくるので、必ず玄関で出迎えます。必ずです。今まで、高倉が感じたことの亡い、家でリラックスした時間を整えたいという、チャレンジングな人生を十分に楽しみました。

 ──映画俳優としての高倉さんをどう見てましたか?
 小田さん 最後まで現役としてのあり方にこだわりました。「俳優には定年がないから、自分で恥をわかってないとね」と。体力はもちろん、セリフが覚えられなくなったら主演(俳優)は務まりません。だから、常に体も頭も鍛え、いわゆる滑舌のトレーニングも続けていました。

 ──すさまじい。
 小田さん 高倉にとっては、それが当たり前でした。映画俳優として主役を張るという重圧は私には推し量ることができません。作品に入る前、必ずシャックリが出て止まらなくなるのも、自分にプレッシャーをかけていたからだと思います。

 ──健さんから「こんな役をやりたい」と聞いたことは?
 小田さん 「無法松の一生」をやりたがっていました。それと、着ぐるみの役もやりたがっていたんですよ。「フレンチ・コネクション」(71年公開の米映画)でジーン・ハックマンがサンタクロースのかっこうをしていましたが、それを何度も見て、「僕は熊でもいい」と話していました。今までやったことのない役に挑戦したい。そのための引き出しを増やす努力は惜しみませんでした。

 ──亡くなって5年、喪失感は?
 小田さん それはやっぱり消えません。でも、声は聞こえませんし、触れることもかないませんが、時々、やってきているような気がします。9月も部屋のバランスボールが揺れました。

 ──きっと見守ってくれているんですね。
 小田さん 寂しいと思う時はありますが、例えば、「この本を書いてね」と言われたのも、これは私の勝手な解釈ですが、「寂しがらないで」「負けるな」と、とてつもなく難しい宿題を残してくれたのだと思っています。ですから本作りに関わった時間はとても幸せでした。

引用元:www.sponichi.co.jp スポニチより

 

【小田さんと一問一答<2>】

 ──愛ある大人の男女が配偶者ではなく養女という選択をしたのは?
 小田さん (手続き上の)書類を提出する約半年前に、私の母が脳梗塞で倒れました。高倉と何度も一緒にご飯を食べたりしていて、とっても元気な人だったんです。その人が倒れました。「えっ?僕より年下でしょ。あの元気な人が…」と、とても心配してくれました。看病に通う私に、「きょうはどうだった?」と尋ねてくれ、私は症状やお医者さまとのやりとりなどを報告していたんです。

 ──高倉さんもショックだったんですね。
 小田さん 親族じゃなければ病室で看病という形をとるのが難しい。そうしたシステムのこともお話ししました。すると、高倉は「僕の方が年上だよね。なりたくはないけど、僕も病気になるリスクはある。そうなったら困るね。(2人の関係に関して)何か出しておいた方がいいのかな?」と。

──それで養女に?
 小田さん そうです。その方が形式として穏やかだったからです。

 ──なるほど。そういうことだったんですね。でも、お話をうかがっていると「養女」とは真逆のような関係もあった感じも。
 小田さん 「お母さん」て言われました。「いえいえ、私はお母さんじゃありません」って言ったんですけど(笑)。でも、そういう感覚だったと思います。

 ──「奥さんにしてほしい」と言ったことはなかった?
 小田さん 一切ありません。言う必要がないんです。どうであってもすることに変わりありませんし、魂の問題だったので形式は必要なかったんです。私はお母さんですから。形式として、配偶者と養女の他に、お母さんがあれば、間違いなくそれでした(笑)。

 ── 一部で40億円の遺産を受けたという報道もありましたが?
 小田さん 少なくとも、私から申し上げたのではないことは、お分かり下さいますか。図らずも、私が真実ではない事柄を書かれる立場におかれたので、余計に高倉の気持ちに寄り添えるようになりました。

 ──高倉さんの最期はどんな様子でした?
 小田さん 「僕は弱ってる姿を誰にも見られたくない」と何度も繰り返しました。ですから、救急車も呼べず、ヘルパーさんも望めません。究極の孤軍奮闘でした。「誰にも見られたくない」。高倉のその望みを守り通しました。

 ──病院の中でも?
 小田さん 「そこまでする必要あります?」と思われたかもしれませんが、私はとにかく高倉を守ることしか考えていませんでした。私がどう思われようが、よかったんです。「検査室に行くまで、こういうルートを通っていただけないですか?」などのルートのご相談も、毎回させて頂きました。

 ──確かに入院しているのも全く漏れなかったですね。
 小田さん 亡くなった日のお昼過ぎに、師長さんが病室に来て「ご苦労さまでした。私はこの病院に勤めていますが、あなたのような方は初めて見ました」と話して下さいました。窓の外の晴れ渡った風景を2人で並んで、眺めました。イレギュラーな申し入れをたくさんしましたので、かなり困惑されたはずです。「すみません、小田(高倉)を守りたいんです」とひたすらお願いし、師長さんにご許可を頂きました。いろいろご迷惑をかけ続けてしまったと思いますが、「よくやり通しましたね」と声をかけていただいたことを鮮やかに覚えています。

──高倉さんはどんな患者さんでした?
 小田さん 本当に優良な患者で、我がままは絶対に口にしませんでした。看護師さんの処置では、「ありがとう」、時には、「上手(うま)いねぇ」と言葉を添えて、感謝を伝えていました。息を引き取った日は、お世話くださった多くの看護師さんが、病室でお別れをしてくださいました。「私達には、わかるんですよ。本当に、穏やかな顔です」と。その言葉に涙があふれました。とても、静かな時間でした。高倉が望んだ寿命の終え方だったと思います。

 ──穏やかに逝かれたんですね。
 小田さん 最期は急でした。ギアを落として行くように。「万が一ですが、腫瘍が神経に触れると痛みが出ます。その時は、こちらの判断で痛みを和らげる薬を使うことがあるかもしれません。その後は会話が難しくなりますがご了解ください」と言われ、様子を見守りましたが、「大丈夫です。小田(高倉)さんは自分で逝けます」と先生がおっしゃり、最後は2人きりにしてくださいました。

 ──高倉さんとの17年間を振り返れば?
 小田さん 規格外の出逢いと、別れでした。高倉の声、笑顔…。とてつもないエネルギーの塊を、本人の希望通りに逝かせることができました。皆さまへの感謝しかありません。

引用元:www.sponichi.co.jp スポニチより

まとめ

昭和の大スター高倉健さんの養女の方に注目し、世間に知られていなかった2人の関係、大スターゆえに普通の生活でなかったなど、いくらか

知ることができました。

小田貴月さんの現在の顔画像は見つかりませんでしたが若いころは
女優ということで、やはり美人ですね。

高倉健さんが晩年の心を許した人ということですから気になりますよね。

最後まで見ていただき感謝です。

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